以前話題にしたサクラマチクマモト『ロンハーマン』さんのサラダのブロッコリーなんておふざけをしたこちら。⬇︎
実はこちらの公園をゆっくり見て回ったことがありませんでした。⬇︎
なので、某日初めて寄ってみました。
何よりこの日の日差しは出来れば全く浴びたくない程でしたから笑。⬇︎
サクラマチから見渡すのも悪くないですが、見上げるのも良いものでした。
そして何より木陰のおかげで涼しかったです笑。
そしてこの公園のシンボルといえばやはり真ん中にそびえるこちら。⬇︎
あまりにも大きく、幹も広がっていますので写真では収まりきれません(上から見たらブロッコリーですから、また言ってます笑)。
この木は『大クスノキ』でした。⬇︎
実は正式名称があって『熊本市指定 天然記念物 旧代継宮跡』の大クスノキだと。
かつて(応和時代:961~964年にこの地に神社があった)、『村上天皇の御代、応和元年(961年)に肥後の国司として紀師信公が当国赴任の際、茶臼山南麗(現花畑公園)に、肥後の国の守護神として祀り、宮城の四隅に木を植えて四木宮と称したのを創祀とします。』と現代継宮(よつぎぐう)のHPに記されていました。
こちらは熊本市龍田にある神社で、以前はこちらの花畑公園に鎮座されていたとか。
昔から由緒ある場所のようで、大木の日陰が心地良いオアシスになっています。
その一角を見るとたくさんの石碑があります。⬇︎
先程のクスノキのことも詳しく。⬇︎
■昭和43年(1968)8月13日指定
花畑公園の敷地は古くは代継神社の社地でした。
社地の四方には4本の神木があったので四ツ木宮と称したといわれています。その神木の1本が今も残る旧代継宮跡大クスノキです。このクスノキは、樹齢600~700年といわれ熊本市指定記念物に指定されています。花畑公園周辺は時代とともに大きく変遷を遂げてきましたが、このクスノキは大切に保護されてきました。昭和20年(1945)、町が戦禍に見まわれた時もこのクスノキは緑を残し、市民に憩いと安らぎを与えてくれました。その後も森の都のシンボルとして大劇の形を誇ってきましたが、昭和40年代に入り生育環境の変化により、急速に勘勢がおとろえはじめたので同48年、多くの専門家の英知を結集して蘇生工事を行ない、このように生きかえり、市民に今も親しまれています。
かなり詳しく記されていました。
そしてこの公園の歴史も詳しく。⬇︎
他にも公園周辺の変遷の歴史など。⬇︎
資料が残されているんだと思いますが、やはり記録は大事ですね。
研修医時代によく教授から聞かされていました、真面目な診療は誰にでもやれるしそれは当たり前だが、経験した貴重な症例の報告(症例報告論文)にも努めねばと・・、それが自分自身の為にもなり、また誰かの為にもなる記録になると。
理解はしていましたが・・苦笑。
いろんな場所を訪れると、ふいにいろんな事を思い出すものです笑。
他にもいろんな記念碑が建っていますが、それぞれ詳しく解説されていました。⬇︎
それぞれをゆっくり読み、ふと見上げるとサクラマチが見えていました。⬇︎
歴史ある場所と現代建築物との調和がまるで『大名シティガーデン』のようです。
こちらの花畑公園を訪れたのは10月の残暑厳しかった頃でした・・。
ついこの前と思っていたのに、今では日差しが暖かくて恋しい程に・・。
時が経つのは本当に早いもので、年の瀬も迫っています。
楽しい思い出こそが人生の財産だとよく言われますが、これからも大きな感動はないまでも小さな感動を求めて過ごしていきたいと思っています。
それでは今日もまたいつものようにですね。