今朝は小雨で、今日は一日雨の様子・・、気温はどうでしょうね。
今朝は寒さは感じませんでしたが、暖かいとも勿論思えませんでした。
適当な格好じゃなかった、適切な装いでお出かけください笑。
さて、最近何かと熊本県の某町、すなわち坂本町を話題にあげています。
それは熊本を訪問した際に、度々坂本町関連書物の販売を記念した展示会や、関連話題を取り上げたイベントに僕が遭遇しているからです。
ということは、熊本の方にとって坂本町という存在がかけがいのない存在だからでは?と思うのは県外の僕の勝手な解釈でしょうか・・。
2020年豪雨での甚大な被害からの復興を皆さんが願っているということも一因なのかもです。
そんな某日、熊本市内の初めて訪れた某所で何かの写真展があっていました。⬇︎
『NOT PERMANENT BUT PERMANENT』・・。⬇︎
意味深な表現です。
そしてこの写真展の題材がまさしく『坂本町』でした。
当然入ってみました笑(ここで引き返す事が出来るようになったら・・、そんな人間にだけはなりたくないかも笑)。⬇︎
凄く広々とした贅沢な空間(おまけに閉館間近でどなたもいない絶好の貸切状況)。
主催の方からのご挨拶が。⬇︎
少し長いんですが、省略無しでのご紹介が礼儀かと。⬇︎
『本展は、熊本県八代市坂本町で生まれ育ち、戦後高度経済成長の中で写真を撮り続けた、ひとりのアマチュアカメラマン、故・東儀一郎氏の視点で見た坂本町のアーカイブ写真展です。
球磨川流域に位置する坂本町は、令和2年7月豪雨により甚大な被害を受け、東氏が撮り続けてきた写真のネガや写真の一部も水損、それをきっかけに写真家の豊田有希を中心としたボランティアグループが、「令和2年7月豪雨 REBORN プロジェクト」として、クリーニングし、デジタル化作業を行いました。
その後、現在は空き家になった東氏の自宅に、昭和30~40年代の町の最盛期をとらえたネガや写真が多数残されていたことから、今まさに失われつつある坂本の風景を残そうと、デジタルアーカイブ作業を行ってきました。
会場では、球磨川とともにあった人々の暮らし、一大産業であった製紙工場、ダムと災害などの視点をもとに、水書やその後の影響で解体になった民家や小学校の建具などとあわせて、坂本の記憶と風景を展示します。』
これを読むだけで全ての写真を見たかのような気持ちになりました笑。
そして町を紹介したパネルも。⬇︎
これまた読むだけで十分な内容でした(こちらはやや省略笑)。⬇︎
『球磨川は・・山間の坂本などを縫うように流れ・・九州屈指の河川。
日本三急流の一つ・・。
坂本には・・「濁りすくい」という言葉があるが・・渡し舟や鮎かけ舟など、舟も用途に応じて多様であった。
東氏の写真には、球磨川下り、鮎釣り、濁りすくい、木丹など、川にまつわる風景がよく捉えられ・・水害をはじめ、熊本・天草等での災害についても多数記録している。』(かなり端折っています)
閉館までの時間が迫っている中で、やや焦りながらの観覧になりましたが、どこか僕の中での原風景のような気がする写真展でした。⬇︎
中学時代までは普通に竹馬で通学もしていましたし、なんなら竹馬で50m走7.8秒を記録したこともあります・・。
・・・・・。
乗ったこと数回ほどで、あまり得意ではなかったような・・笑。
いろんな当時の写真から測り得る当時の生活振りがとても新鮮でした。
その中でも今と変わらないなと思える一枚がこちら。⬇︎
今も昔もおばあちゃんと猫は仲良しです笑。
逆にこちらは・・。⬇︎
鎌を持っての散策は今では有り得ませんかね。
これらの貴重な写真を残された『東儀一郎(ひがし ぎいちろう)』さんのカメラやネガも展示されていました。⬇︎
せっかくですからもう少し大きな写真を。⬇︎
生まれも育ちも坂本町で、戦後も地元企業で働く傍らバイクに乗って地元を写真に収めて過ごされた様です。
まさしく坂本町の象徴とも言うべく方ですね。
町の重鎮だったのではと思われる方々の御名簿も展示されていました。⬇︎
当時の校医の先生が何をされているのか?(予防接種ではなさそうで・・)。
機会があれば御子息へ聞いてみたいものです。
もう少し早い時間に訪れていたらもっとゆっくり出来たんですが、いかんせん閉館間近だった事と、この日が最終日だった事が残念至極でした。⬇︎
奥に見えている『ミュシャ展』も覗きたかったんですが・・。
福岡で昨年あっていた際には見逃しています・・。
こちらは4/7まで開催されていますので、また訪れる機会を作れればと思っています・・が笑。
それでは貴重な2/29の今日も、しっかりと先へと繋がる1日にしたいと思っています。
今日もまたお時間があればその時にでも。