今朝も気持ちの良い朝でした。
最近続いています。⬇︎
このまま週末まで持ってくれれば幸いかと笑。
さて、大きな勘違い?、知識不足?が突然判明して愕然とすることがあります・・(僕だけかも笑)。
漢字の読み方であったり、史実だったり・・。
そんな某事実が最近判明しました。
それが『ベルリンの壁』です。
東西冷戦の象徴である(あった)ベルリンの壁を知らない方はいないかと・・。
壁の建設時。⬇︎
東西ドイツを隔てた壁で、東西冷戦の象徴でした。
もちろん僕も知っていますし、1989年11月9日の壁の崩壊は世界中で大きなニュースとなり、日本では平成元年の出来事でした。⬇︎
(壁に登って歓喜する人々)
ここで上述した、『東西ドイツを隔てた』というよく使われる表現が誤解の根源かと・・(根源なんて言うことで自身の見識不足を転嫁しようとしています笑)。
そんな『ベルリンの壁』なんですが、先日のテレビで・・(先日とは言っても実は数ヶ月前苦笑)。
言い訳ではありませんが・・、昔は認識していた?かと。
しかし、長い年月と共に記憶の彼方へ?笑。
さて、テレビで何を言っていて、何が!?となってしまったか。
それは、壁の位置(場所)でした。
「勘違いしている方も多いですね」と言われて画面を見て・・。
・・まさしく僕のことでした苦笑。
東西ドイツを分断していた壁として有名ですので、ドイツを2分していた壁であると勘違いしたくなるのはよ〜く分かります(僕的には笑)。
実はそうであって、そうでは無いから驚いた次第です。
よく考えれば、ベルリンの壁であって、東西ドイツの壁とは言いません・・。
あくまでもベルリンを分断していた壁なんです。
ちなみに東西ドイツの境界線は『ドイツ国内国境線』と言い、これはベルリンの壁ではありません(下記参照図の赤青境界線)。
ここで疑問?。
ベルリンの位置が問題なんですが、これを分かりやすく図示されている方が(大感謝)。⬇︎
ベルリンは元々東ドイツ領にあって、そのベルリンを東西に隔てたのがベルリンの壁だと・・。⬇︎
(僕の変な加工あり笑)
僕の頭では境界線上にベルリンが位置していて(実際にはそんな都合良くは存在していません苦笑)、そこがベルリンの壁であれば、国内国境線が元々存在しているのでわざわざベルリンの壁なんて呼ぶ必要ありませんからね。
これは本当に恥ずかしくなりました(なのでこの話題は2分後には消去します・・笑)。
やはり国内の事だけに目を向けていては・・ですね。
こんな知識しか持ち合わせていなかった事が判明すれば、学生時代のドイツ語学の単位を剥奪されそうですので、壮大なジョークということにします笑。
日本史専攻でしたので世界史を勉強し直そうかと思っている昨今・・、なんてまだ言い訳もしています(往生際が悪いのも有名です笑)。
そんな今日もいつものように精進です。
またそのうちに恥を忘れた頃にでも・・。
(すぐに忘れるのも得意中の得意です)