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海外の福岡県人組織。

 

週末は皆さん思い思いに桜を楽しまれたかと・・。

週末前までの曇り、雨、強風が過ぎ去った後の先週末は全国的に桜満開に恵まれました。

福岡でも舞鶴公園では凄まじい人出だったと聞きました・・、行きたかったんですが笑。

まだまだ機会はあるかと狙っています。

さて、最近の某週末に『アクロス福岡』さんを訪れて一階の総合案内所前に広がるパネルに気付きました。⬇︎

あの場所にパネルはあまり無いので戻りました(エスカレーターの逆走はしていません笑)。

こちらのパネルは『海外福岡県人会』を紹介するものでした。

おそらくこのような会があること自体をご存知の方は多く無いかと。⬇︎

『移住から長い年月が経った見在、海外福岡県人会の多くは世代交代が進み、日本語や日本の伝統・文化を知らない世代が増えています。

そこで福岡県は、福岡や日本への関心や興味を高めてもらうことなどを目的に、県人会会員の子供たちや県内の大学生等との交流事業を展開し、次世代を担う人材の育成を行っています。』と。

日本人のルーツを持ち、日本語や日本の伝統・文化を知らない・・日本で生まれ育ち、ほぼ日本で一生を終える私達では想像がつかない事です。

そう言えば、浪人時代に読んだ小説を思い出しました笑(以前話題にあげたかも?)。⬇︎

僕が読んだ時とは表紙が違っている気がしますが、まさしくこの小説です。

著者の兄が先にアメリカはカリフォルニアに渡り、その兄が経営するイチゴ農園で働きながら過ごした4年間の在米体験記でした。

当時、何者にもなっていなかった宙ぶらりんを満喫?していた僕に僅かな何かを芽生えさせてくれた小説だった気もします・・(本当はどうだったかな?笑)。

さらには、この小説が映画化されていた事実は今回調べて初めて知りました。⬇︎

これは本当に見たいと思っていますが、どうやって見れるかを調べています(小説も是非とも読み直したいと思っています・・)。

いずれも容易では無いような予感が・・。

さて、そんな背景が同じでは?と考えられる『海外福岡県人会』の紹介パネル。

福岡県由来の著名人3人が紹介されていました。⬇︎

ダニエル・イノウエさん:日系人の名誉回復に尽くした生涯(アメリカ合衆国連邦上院議員)。

ジョージ・アリヨシさん:米合衆国日系人初の州知事(元ハワイ州知事)。

エリソン・ジョージ・オニヅカさん:アメリカ日系人初の宇宙飛行士。

いずれも簡単ではない要職です。

福岡県人としての誇りを胸に、移住国の発展に大きく貢献。⬇︎

福岡県から海外への移住は、1885年(明治18年)にハワイへ移住したことに始まったそうです(ハワイが最初だったんですね・・)。

そこから・・北米から果ては南米まで・・。

想像以上の困難があったのでは・・。

そして、『第二次世界大戦が始まると、皆さんもご存知のようにアメリカ西海岸に住んでいた日系アメリカ人は、不当にもアメリカの強制収容所へと送られました。その過酷な生活においても、創造力やユーモアを失わず、その中で見つけた美や喜びを描いていきました』と。

その収容所当時の日系アメリカ人の歴史と美術作も紹介されていました。⬇︎

結構な作品が紹介されていましたが、幾つかを。

フレズノからジェローム収容所への移動中の休憩。⬇︎

(作:ヘンリー・ユズル・スギモト(杉本謙)1900年和歌山ー1990年ニューヨーク )

『アメリカ政府は日系アメリカ人に対し、立ち退きの際、即座にカメラやその他の録画機器を放棄し、提出することを求めた。そのため、一時収容所から強制収容所への移動に要した長い昼夜の記録は、芸術家の手によるものがわずかに残っているのみである。この絵は、列車に詰め込まれた日糸アメリカ人が、武装した兵隊に監視されながら束の間の休憩をとっている様子を描いている。』と。

本当に大変だったでしょう・・。

写真花嫁。⬇︎

(ヘンリー・ユズル・スギモト )

『日本人移民との結婚に同意した女性で、彼女たちの多くは夫の写真を手にアメリカに到着し、その写真を頼りに波止場で夫を見つけ出して、初めて夫と会うことになったとか・・。』・・写真を頼りに異国へ・・。

無題(カードゲームをする男たち)。⬇︎

(作:サダユキ・ウノ(宇野貞之)1901年広島-1989年カリフォルニア州オークランド)

『全ての財産を失い、何十年もかけて築き上げた生活を奪われた日系アメリカ人にとって、退屈と絶望は最大の敵だった。長い間、独身労働者の娯楽であったギャンブルやカードゲームは、収容所でも人気のある退屈しのぎであった。』・・強く逞しく生きられていたんだと思います。

上記2作品を描いたヘンリー・ユズル・スギモトさんの自画像も展示されていました。⬇︎

隣は奥様の肖像画だそうです。

しっかりした顔立ちです、収容されても日本人としての矜持を失わないように、という決意を感じました。

他にも当時を知り得る貴重な資料?がたくさん展示されていました。

本当に知らないことがまだまだ沢山あります。

このような貴重な展示会をこれからも期待します。

最後にちょっと趣旨とは違うかも?ながら驚いた絵画が一枚。⬇︎

ラリー・シノダ(1930年カリフォルニア州ロサンゼルスー1997年ミシガン州)さんが描いた、ある車のデザインの元となったイラストです(収容所時代では無いかと思います)。

てっきり『マッハGoGoGo』のマッハ号のデザイン画だと思いました笑。

ちなみに、僕も大好き、皆さんもなコルベット3代目は1968年登場で、『マッハGoGoGo』は1967年放送・・。

一瞬疑問が浮かびましたが、コルベット3代目のコンセプトカー『Mako Shark』のデザインは1963年には発表されていたようなので、やはりコルベットのデザインが『マッハGoGoGo』より先のようです(何を疑ったのか笑)。

ちなみにこちらが『Mako Shark』。⬇︎

そのまんまコルベットスティングレー3代目です。

しかし、このデザインが日系の方のものだったとは・・凄いですね。

参考までにこちらがマッハ号。⬇︎

凄くそっくりです(もしかすると少しは・・笑)。

最後は大好きだった車の話になってしまいましたが苦笑、『海外福岡県人会』なる組織の存在を知れてとても意義深いものがありました。

何かの機会でもあれば、少なからず応援していきたいと思います(興味や関心を持つだけでも笑)。

 

それでは今日から4月です・・。

入学式、入社式、新年度の始まり、様々なが目白押しの4月。

気持ちも新たにまた精進の日々かなと思っています。

それではまた、話題でもございましたらそのうちに。

 

 

2024年04月01日